2017/12/07
私は、瀬戸物屋という商売人の家に育ちました。また、母親の実家も蕎麦屋を営んでいます。ですので、会社に勤めるということを身近に感じる事がなく育ちました。
そんなところが、独立することに心の障壁がなかった要因だと思っています。
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実家が瀬戸物屋、だけど継がないと決めた
私の実家は、瀬戸物屋を営んでいました。父親の代で4代目です。私は、そんな家の長男として生まれました。
何代も続いてるお店の長男だからといって、両親も祖父母も、特別継げと言うことはなかったです。しかし、それが裏目に出たのかなんなのか、私にはお店を継がなければいけないという意識は、全くなく育ちました。
そして年月がたち、私が高校生のころ、祖母が亡くなりました。そのお葬式の振舞いの席で知らない方たちから、ひっきりなしに「お店の継ぐんだよね」とか「継いだらお婆ちゃんも喜ぶね」とか言われたんです。
特になりたいものも、夢中になっているものもなかった私ですが、自分以外のものに自分の将来を決められることに、なんとも言えない強い不満を感じました。その時、絶対にお店を継がないと決めました。
だけど働いている父親の姿は好きだった
両親や祖父母が揃ってお店に出たり配達等をしていたので、遊び場は自然とお店や倉庫でした。
休憩中の父親を捕まえて、弟と一緒によく遊んでもらったのをよく覚えています。裏の駐車場でキャッチボールやサッカー、倉庫でチャンバラをしたり、木でサイコロを作ってくれたり、本当に楽しかった!
また、農協のお祭り?みたいな際には、テント内に簡易店舗を用意して、商売していたのを手伝ったりもしていました。(今思えば邪魔していただけですね!)
(そこでご褒美に買ってもらった信長の野望が、戦国好きの始まりなのは、また別の機会に。)
というように、父親が働いているのを小さいころから身近に見て育ってきました。その姿はカッコよく、大好きでした。
なので、お店は継ぎたくはありませんでしたが、いつか自分も家業とは別の商売を初め、そのようになりたいと思っていました。
母親の実家も商売人
さらに、母親の実家も蕎麦屋を営んでいました。(今も伯父さん(母親のお兄さん)がやっていて、とても美味しいのです!)
小さい頃は、お盆とかゴールデンウィークとか忙しい時に、片付けや皿洗いのお手伝いをしていました。まあ、これも小学生なので半分邪魔していたようなものですが。
蕎麦をうっている伯父さんさんは、本当にカッコよく感じました。また、そのお店では川魚や鰻も扱っていて、魚を捌く姿も憧れでした。こうして文章にすると、伯父さん万能ですね。すごすぎです!
まとめ
そんなわけで、小さいころから会社勤めを身近に感じることが少なく、商売で生計を立てることの方が普通、そしてカッコいいという環境で、私は育ったわけです。だけど、実家の商売は継ぎたくないという矛盾。
それが、会社を辞めて独立することの障壁の低さや、私の行動の原点になっています。